姫路市観光推進課に所属しているかなじぃです。
私のダークな思い出は、6年前、長女を出産したときに遡ります。
はじめての産休、はじめての出産、はじめての育児。
「子育ては大変だけどかわいいよ。」という周囲の経験談からある程度覚悟はしていましたが、まさかあれほど気が滅入ってしまうとは、当時30歳だった私は想像もしていませんでした。
産後うつだと気づかなかった三か月間
産後一ヶ月間して里帰り出産から戻ると、笑えない日々が始まりました。
長女は眠りが浅く、昼間は抱っこしていないとすぐ目覚めてしまい、夜も2~3時間ごとに夜泣きをする赤ちゃんでした。
仕方ないので、昼間は抱っこしたまま自分も一緒に横になったり、ベビーカーで寝付いたのを見計らって一休みしたりしていました。
「夜に母乳をあげると癖になる」という読み物を読んで、「ふんぎゃぁ」と泣くたびに立ってゆらゆら抱っこしていた時期もありました。
「言葉は話せなくてもできるだけ赤ちゃんと関わって」という読み物を読んで、起きている時間は公園に行って「良いお天気だね」と話しかけたり、絵本を読み聞かせたりしていました。
夕食をつくる時間帯に機嫌が悪くなる“黄昏泣き”には、随分と苦しみました。
泣きっぱなしにするのは罪悪感があったので、ひたすら抱っこして降ろしてを繰り返していました。
「とにかく大変。」
これが、産後三か月間の正直な感想です。
そして三か月が経った頃には、げっそりと疲れ切っている自分がいました。
そういえば最近笑ってないなぁ。
そう気づいたのは、風が心地よくなってきた秋口でした。
同じ時期に育休に入っていた同期と久しぶりに会って話をする機会がありました。
当時一歳になった娘さんを育てていた彼女は、ずいぶんと健康的に見えました。
「夜寝てくれへんねん~」「ほんましんどいねん~」なんて他愛ない話をしながら、“大人と会話をする”ことで少しずつ気持ちが軽くなっていくのを感じました。
当時夫は仕事が繁忙で、毎日のように22時を過ぎてから帰宅していました。
平日の会話相手は赤ちゃんの娘だけだったので、大変な時期に、大変な状況を共感してくれた友人に、このとき本当に救われました。
「市がやっている育児サークルがあるから申し込んでみようと思う。」という彼女の言葉には、今も心から感謝しています。
このサークルに通っていなかったら、現在のママ友と出会うこともありませんでしたし、このような育児記事を書くこともなかったと思います。
思い返せば、産後うつから解放された私の一歩は、この「育児サークルの応募はがきを書く」ことでした。
無理しない、頑張らない、小さな一歩
長女は6歳、次女は4歳になり、前述のように懐かしい思い出として振り返ることができるようになりましたが、当時は「子どものために良いお母さんでありたい」と思い、憔悴してしまっていました。
「良いお母さん」というのは、非常に抽象的な言葉です。
公園に行って、絵本を読んで、出汁をとって、いつもニコニコしているお母さんでいられるならば、理想かもしれません。
しかし公園に行っても疲れていて、絵本を読んでも家事に追われ、出汁をとっても心で泣いているお母さんよりは、一日公園に行かなくても、たまに雑誌を読んでいても、ご飯を買って帰る日があっても、健やかなお母さんでいるほうが、結果として子ども達の笑顔が増えている気がします。
一歩というのは、小さくて良いと私は思っています。
必要なのは、「少しはみ出す」こと。
育児サークルの応募はがきを書くように、現在の生活から無理のない範囲で少しはみ出してみると、いずれ自分でも予想していない未来がやってくるのだと思います。