アナログからデジタルへと駆け抜けた17年間

私は1983年4月高校を卒業し吹田市役所に入庁しました。
 最初に配属された職場は税務部資産税課の窓口で固定資産評価証明を発行し、土地家屋の登記内容から台帳を作成する課税事務を担当し、何と17年間在籍しました。折しも時代は昭和から平成へと移り変わりゆく中、税務システムのオンライン化に向けての準備期間と1990年からの本格稼働を迎え、業務の仕方も大きく変革する時期を過ごしました。長時間の時間外勤務も恒常的続いていましたが、仕事に燃えて取り組むことができた充実の日々でした。

 その後、一生涯忘れることができない経験をしました。1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災でした。当時、1月初旬に長男を出産したばかりの私は産休中の身であり、テレビから流れる被災地の報道に触れるたびに不安な日々を過ごしたことを今でも鮮明に記憶しています。

 その後、同年4月、生後3か月の長男を保育園に預け職場復帰し震災復興に向けて、無我夢中で仕事と子育ての両立に励みました。その当時、長男が熱を出して保育園にお迎えに行かなければならない時に上司が言ってくれたひと言が今でも忘れられません。「仕事の代わりはいっぱいいるが、子どもの母親は君しかおらんのや。すぐにお迎えに行って看病したげや。君が今、仕事を助けてもらった恩は、今後、君が上司となった時に仕事で返してあげたらいい。」と。仕事と子育ての両立で葛藤を続けていた私にとって上司のちょっとした励ましのひと言にどんなに気持ちが救われて、ともすればくじけそうになる自分を鼓舞することができたかを身をもって感じています。

 それ以来、私は自分が受けた恩は恩送りの精神で笑顔で声かけと激励を心がけて現在では管理職5年目となり、当時の上司のような理想の上司を目指して、感謝の想いで置かれた場所で奮闘する日々です。

この記事を書いた人:YUKI

YUKI

昭和から平成そして令和へとまさしくアナログからデジタルへと駆け抜け働き続けてきた高卒入庁37年目/仕事と子育ての両立に泣き笑いで取り組んできた経験がどなたかの道しるべになるのならこれほど嬉しいことはありません。 私のモットー「置かれた場所で私らしい花を咲かせたい」 人間は幾つになっても目覚めた時から人生は突き抜けると信じています。

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